病と私(教員2年目の躁うつ日記)

双極性障害と一緒に暮らす大学生→教員()の日記とか思ったこと。

哲学対話#1

 

 

自分のためのフィードバックアウトプット

 

 

教員が哲学対話をする際の

ファシリテーターをやる際の

注意点や気をつけること

基本的なことを教えてもらった

(研究者の方が普段も学校教育、学校の教員養成に携わっていらっしゃるらしく、それだけでも親近感がもてた。ありがとうございます。)

 

哲学対話をする際の注意点はある程度自分もわかっていたっぽい(自分の中でも哲学的問いの総体があって、それが、先生?と合致していた)

この点はメモ帳にも書き出しているので

整理すればいいかな

 

細かい点、特に子ども相手に対して

理解はするけど納得しないこと

っていうのがわたしには大事かな

 

 

 

気象制御を哲学対話するっていうのは

なかなか面白そうだなと思ったし

ニュース本当に見ないから

気象制御というものを初めて知った。

理系の人がいるとまたああいう場は面白いな。

 

 

 

とにかく初哲学対話が自分の中で

インパクトが大きい。

 

 

体感としては(リアルな方の体感)、

他の人の考えが自分には予めなかったのに、

その人が話しているのを聞いている瞬間に、

これ私もその考えかも!!!!!ってなると

鼓動が感じられるほどドキドキドキドキってする

 

 

 

最初しばらくの間は他人の意見聞いて

なるほど〜って思ったり、

たしかにな〜って思ったり、

あと自分の中に

今話してる人は頭のいい人だ!っていう

先入観があるからか、

理解しなきゃ、理解できるかな

みたいな気持ちで聞いていた

さすがに理解はできた

基本あまり自分は批判的視点がない気もする

 

問いが

「社会的抗ギはよいものか」

で、問いも身近に感じられなかったし、

知らんニュースの話題も多くて

(ゴッホの名画にスープかけた、7年前?のアメリカの洋服ブランド(アバクロ)への抗議活動とか)

最初は自分は今回はついていくので

精一杯で、何も発言しないかもな〜と

思ってたんだけど、

 

いろんな人の意見聞きながら

何かしらは考えていたみたいで、

ポンっと出てきて、2回話せた。

 

 

すごく面白かったのが、

そもそも社会的抗議に関係している人していない人の境界線ってどこだろうっていう新しい問いが出たこと

 

あとメモ程度。

抗議の目的はいいけど手段が悪い(これはその通り)

どうでもいいし賛成も反対もないけど(ないから?)こんなことしなければいいのにという最近の若い人(中高生)の意見はどこから来てるのか

個人的か社会的か(これはきっかり分けられそう)

抗ぎで声を上げている人に対しての嫉妬(自分も多少思うことはあれど、我慢してやっているから表現できて羨ましい的な感じ)

 

 

私の意見

 

関係しているしていないの境界線

中高生の、「どうでもいいけどめんどくさい。」的な態度 の話から

 

遠い国で起こっていることで、

自分はその抗議に何の感情もわかない→共感

しかしそれに関する何かしらの情報が入ってきた時点で、関係しているに入ってしまうのではないか。

というのも、何か情報が入ってきたら人間はその情報に対して何かしらの判断をくださなければならない、常にくだしている(と私は思っている。)どうでもいいのであればどうでもいいという判断をくだすというイメージ。

毎日半径5mのことでいっぱいいっぱいで判断する場面がいっぱいあるのに、何万キロも離れた土地のことを判断のにいちいちリソース割くのがきついんじゃないか。それを直感しているから、中高生はなんかよくわかんないけどめんどくさいどうでもいいけど抗議活動なんてしなきゃいいじゃんって思ってるのではないか。

 

 

 

総じて

初哲学対話とっても楽しい。

いい刺激になった。

でもすごく楽しかった分、もともと理想としていた

小学校教育(子どもへの教育)でできるのか、

自分がそこでやりたいのか、

には疑問ができた。

自分で参加して考えてる方が楽しいわけであって。

(ファシリテーターも参加はできるけど)

 

あとやっぱり前提知識まではいかないけど、

ある程度の哲学対話への姿勢というか

(この姿勢?は細かく考える必要がある)

そこがないと難しい

ズレた時に軌道修正してあげるのが

ファシリテーターの腕の見せ所なのだろうけど

参加者にも必要条件があるような気がした

今日のはかなりよかった気がする

同時に哲学なんて普遍性をさがす学問でも

あるのだから、万人ができなきゃダメだろとも思う。

シンプルに他人との対話の中で考えるの本当にいい

 

 

小学校教育に導入するにあたって

想定される批判つかれそうな点

・教育目的

(教育は目的が好きだよね目的がないことなんていくらでもあるのになあ。哲学と目的の相性もあまり良くない気がしてる)

←問いに対する答えがある世界ではない すぐに答えが出る世界ではない 答えのない問いを考え続ける力(ネガティブケイパビリティ)の重要性 他者尊重 新たな問いを生み出す力 (自分の経験をもとに考え出す力)(抽象化)

何より他人の肉声で意見を聞くことでインスパイアされるものってめちゃくちゃあるなと感じた

・方法(授業案:対象学年等も検討)

これはあとで具体的に考えれば良い

・評価

なしでいい

・「人を殺してもいい」などという危険思想に陥る可能性

←先生も言っていたけど「逆もまた正」なのであろう。