病と私(教員2年目の躁うつ日記)

双極性障害と一緒に暮らす大学生→教員()の日記とか思ったこと。

やっと生まれたーわずか1年で転職。社会人(教員)2年目の雑感ー

 

お久しぶりです。

誰が読んでるかわからないし、読んでる人はほとんどいないかもしれないけど。

自分の状態を記録、文章化することに意味は感じているので、残していく。

この記事がこの先の「私」を救えますように。

 

 

 

「社会人」爆誕

 

まずは1年目→2年目の変化

 

〈1年目勤務態度〉

・4月、適応障害発症

・全有給の消化+欠勤(雨の日に行けない、嫌なことがあると休むなど)

・休日出勤拒否

・全懇親会欠席

・勢いで退職願を出し、後日取り消してもらおうとする

・機嫌の悪さを前面に出し、同僚に気を遣わせる

・意味がないと思う、納得できない仕事内容に取り組めない

・同僚を助ける、全体のために動く仕事ができない

・遅くても18時半、大抵は17時台に退勤

・授業以外の仕事は大体後回し

 

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〈2年目勤務態度〉

・今のところ、体調不良で1日休んだだけ

・通勤時間+1時間になったにも関わらず、19時、20時まで勤務が数回

・同僚に対して協力的

・全体のための仕事に積極的に参加

・細かい仕事も後回しにせず、その場で解決、動く

・しんどくても顔に出さない

 

 

勤務態度はかなり変わったと思うのだけど、そもそもメンタリティが変わったからかなと思う。考え方や気持ちが態度には出る。(態度を変えることで、メンタリティを保てるようになるというのもまた真理。)

 

 

 

〈1年目メンタリティ〉

・子ども、かわいいかわいすぎる、我が子のよう

・ゆえに嫌われたくない、叱りたくない

・けどめんどくさいことに関わりたくない

・教員は授業をするためにいるのに、なぜこんなことまでしなければならないのか

・得意ではない教科に力を注げない、好きな教科だけに力を入れる

・お局うるさい、嫌いな先輩の話は全く聞かない

・尊敬できる人が少なく、同僚となるべく会話したくない

・保護者対応したくない、嫌々、大きい問題だけ対応

・公私の境目が曖昧

・言わなくていいことまで言う、同僚との適切な付き合い方がわからない

・いつまでここで働かなければいけないんだろう

・誰に嫌われてもどう思われてもいい

 

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〈2年目メンタリティ〉

・子どもはやっぱりかわいい

・でも本当に子どものことを思っていたら、叱ることも必要

・あくまで教員ー児童

・子どもの話をもっと聞こう、1人1人しっかり見る

・保護者対応すばやく、細かいところまで(保護者の願いを聞く訳ではない)

・自分ができることはやって、同僚を助けたい、役に立ちたい

・尊敬できる人が多く、いろいろ吸収したい、積極的に聞きに行く

・公私は分ける

・仕事を仕事として認識、話さなくていいことは話さない

・3年は頑張ろう

・周りの人に頑張ってるな、助けてあげようって思ってもらえる人でいたい

 

 

 

本当に、本当に大きく大きく変わりました。

前任校の人たちが今の私を見たらかなり驚くと思う。

私がこんなにしっかり働いているなんて、想像できないと思う。

それくらい、別人になったかのように変わった。

 

 

『やっと生まれた』は、

社会人1年目の去年はまだ学生気分が抜けず、

社会人と呼べるほどの社会人になれていなかったなと思ったからこのタイトルに。

やっと、やっと、社会人として生まれたね。

 

 

前の記事で、

「大人になれない。大人なんていなくて、大人のフリが上手な子どもがいるだけ」

という考えが好きって書いたけど、「大人」にはなれないけど「社会人」にはなれんだな。

 

 

さて、この大飛躍。

なぜ2年目になってまだひと月半で、「社会人」として生まれることができたのか、

原因を自分なりに分析していく。

 

「社会人」さくちゃん誕生秘話

 

秘話と書いたけど、私のドタバタ転職(学校→学校)の様子、

転職先で、大飛躍できた原因の分析をしていきます。

 

 

 

大飛躍の原因は

 

ズバリ

 

 

 

 

120%環境

 

 

 

 

内訳としては細かくあるのだけど、ひっくるめて環境

環境でしかない。

 

 

 

 

前任校では、12月に退職願を出し、その一週間後に取り消しを願い出、

それが通らなかった(勤務態度が最悪だったので、おそらく自らやめてくれるならありがたいくらいは思われてた気がする)ため、来年度の食い扶持を見つけるべく、早急に次の学校探し。

時期も時期でなので、勤務場所や労働条件、待遇等等は気にしてられない!片っ端から!

という気持ちでした。※当人は特殊な訓練を受けていますので、決してマネしないでください

 

 

先生が足りてない学校から、非常勤や常勤講師の話をいただいたり、転職サイトに登録し、スタッフの方と面談したり、いくつかの学校を見学に行ったり…

 

 

ただ、どこかで「専任がいい」と思っていて、今住んでいるところからはかなり遠かったけど、結局専任で募集してた1校に狙い撃ち。

計4回の面接、試験を経て、3月中旬に内定をいただきました。

 

時期が時期だったので、あまり吟味せず、内定をいただいたところにそのまま就職。

結果的には大成功だったわけですが、私は割と運がいい方の人間だと自覚しているので、基本的に転職活動は、慎重に、前職での不満と自分の耐久性などを加味しつつ、長く勤めることを想定して、選ぶべきだと思います。

 

 

さて、2年目の新しい職場で、

大飛躍を遂げることができたのは、ズバリ環境だと豪語したのですが、

ここで1年目の職場と2年目の職場を比較していきたいと思います。

 

最初に断っておきたいのが、前任校の環境が最悪ということではないです。

むしろ、教育現場にしては、トップレベルのホワイトさ(先輩方は17時台に退勤、担任の授業は基本国数社だけ)だったと思います。

 

 

〈前任校〉(実情と私が感じ取っていたこと)

・先輩は17時台に帰るため、初任も帰りやすい。18時以降残っている先生は半分以下。

・児童への要求が多い(〇〇学校の児童はかくあるべき。)

・規則が多く、規律が守られることを重要視(教室移動は整列、一言も喋らない、など)

・児童の持ち物や持ってきて良いもの、服装が細かく指定されていた。

(キーホルダー禁止、カイロ禁止、飾りのある髪ゴム禁止、キャラクターの鉛筆禁止など)

・教員→児童、児童同士、名前の呼び捨てはしない(〇〇くん、〇〇ちゃんも△)

・「はみ出し者」を容認しない空気感

・遊ぶ時間が15分程度の昼休みしかない。自由な時間もない

・廊下で遊ぶの禁止、教室か校庭のみ

・クラス担任が目を離すことがないよう、基本クラス全員で行動。忘れ物をとりにきた児童ひとりを特別教室まで送るなど、全てに付き添い。

・教室の掲示物は最小限、基本学年で揃える

・学級通信はなし。配るプリント類は管理職のチェックを経てからしか配布できない。

・1クラス1人担任制、初任でクラス担任、学年ごとの副担任あり

・授業の進度、使用するプリントなども学年で揃える(オリジナルは基本なし)

養護教諭が厳しい。

・クラス担任制(国数社は担任が授業をする)

・全体の会議は1、2ヶ月に1回

・ほとんどの資料を全教員に紙で配布

・会議で建設的ではない、感情的な発言、管理職への攻撃のようなものが多かった。

・そのためいつも会議の雰囲気が悪い。

・校長先生の発言少

・女性教員の一部が、初任者や他の教員の悪口を言う

・過去、若い人の退職、休職が多い

・教員同士の会話が少なく、職員室の雰囲気が悪い(私的)

・職員室で、全員に聞こえるところで、後輩を叱る

・改善して欲しいことがある時に、優しく言える人が少ない。強い口調の人が多い

 

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〈現任校〉

・だいたい18時くらいまでは残っている。先輩は17~18時で帰る。若い人が21時まで残っていることも。帰ってはいけない雰囲気はない。

・多少うるさくても、友達同士で小競り合いがあっても、ルール守れなくても、厳重な注意や、細かい注意はない。声掛け程度。ある程度の自由が認められている。

・持ち物の細かい指定はなく、許容範囲が広い。

教員→児童、児童間の呼び捨て、ニックネームあり。児童→教員をニックネームで呼ぶことも。

「はみ出し者」ウェルカム。はみ出し者こそ「THE〇〇学校の児童」

遊ぶ時間がとにかくたくさんある。朝、昼休み、放課後、とにかく遊んでる。

・遊ぶところがたくさんある、廊下、遊ぶ教室、体育館、校庭、屋上どこでも遊び場。

・準備が終わった子から自由に遊びに行っていいなど、クラス担任が必ずついていないといけないわけではない。

教室の掲示物が自由で、多い。クラス担任によって、全く異なる。学年で揃えない。

・学級通信自由。これもクラスごとにまちまち。学年で揃えない。管理職のチェックなし。

基本1クラス2人担任制、学年の副担なし、初任者は1人で担任持たない

授業の進度、使うプリント、教員によってバラバラ。教える内容教えていれば○。足並みをあまり揃えていない。

養護教諭、とても優しい

専科制

・全体の会議が週1

ペーパーレス化により、会議資料などは配られない。

・会議で感情的な発言は出ない。建設的で長引かない。笑いが起こることも。雰囲気がいい。

・校長先生の発言多

職員が職員の悪口を言っている雰囲気は全く感じられない

若い人が多い

教員同士の会話が多く、児童の話題もたくさん口にする、居やすい雰囲気の職員室

・先輩教員が後輩を叱っている場面をまだ見たことがない

 

その他、細かいシステム的なことだけど、

・業者テストなし。定期テストのみ。宿題なし。

→去年は毎日テストと宿題の丸つけ、チェックに追われていた。

・ペン、輪ゴム、ホチキス、ハサミ、赤黒のインクパッド、油性のカラーマジック等の文房具類全支給。補充可能。

→前任校は、最初にペンとのり配られただけで、他の必要なものは買ったし、ペンもインクなくなり次第、あとは自費だった。ありがたい。

・国語と算数はレベル別クラス

→レベル別だと、浮きこぼれ落ちこぼれがたくさん出てしまうこともないし、先生もレベルに合わせて授業できるので、合理的だなと感じた。

 

 

この環境の変化が、自分の仕事に対するモチベーションや態度を変えてくれたのだが、なぜ環境の変化=モチベーションの変化に繋がったのか、考察していく。

 

 

学校(職場)と自分の思想

 

教育者として働く人たちのほとんどは、教育に対する自分の理想や思想(まとまった考え方)のようなものがあると思います。

私にもあるのですが、ここで一言で表すのは難しい。

 

ただ、自分の思想と学校の教育理念が一致していることはとても大きいなと感じています。

つまり、今の学校と自分の思想のマッチ度がとても高い。

 

大きな柱の部分が一致していると、人間関係、システム、職場の雰囲気などは、そこに集約されるように、「整ってくる」ように感じる。=周辺のことも、自分とのマッチ度が高くなる。

 

 

例えば行事の準備に関して。

※ここからは主観も入ります。断っておきたいのが、前任校のここがダメ!ということではなくあくまでこれは自己の考察のための記述であり、前任校の教育も良いところはある、ということです。学校には特色があり、それぞれの理念があり、そこに共感できるかできないか、だけだと思っています。

 

前任校は、行事の係はきっちり分担で決められていて、前日のチェックも入念(いつも前日チェックはぞろぞろと上の人たちで学校中を歩き回るんだけど、「ドクターX」の院長回診かよ、といつも思っていた)で、何かあると、チェックする側の人たちから言われたりとか、他の係の人が、こちらの係のやり方に色々言ってはくるが、手伝ってはくれなかったり、行事となるといつも雰囲気が悪くなる感じがした(いつも良くはない)行事後も記録することが多い。

現任校の行事準備はあっさりしていて、係が細かく決まっていない(担任持ってない先生方で結構やってくれている)。仰々しいチェックも記録も特になし。入学式の準備ですらあっさりすぎてびっくりした。

 

こういうこと。つまり、こういうことなんだよな。はっきり言ってしまうと、成熟した組織と未熟な組織の違いのような気がする。

 

 

 

私は、子どもに何かを求めるのは教育ではないと思っている。

子どもが求めているものを、一緒に叶えようとすること、子どもが何かを求められるように、きっかけを与えること、これが教育な気がする。

 

 

前の学校は、子どもに「きちんと」を求めていた。

(先輩教師の校内放送で「〇〇小学校の卒業生には「きちんと」が求められます」って話があったくらい。)

「きちんと」できない子は要注意対象でその子の全てが良くない、という見方が先生方の間で広まっているような感じでした。教員室での会話も、そもそも子ども一人一人に関する話題が少なく(これは1クラス1人担任制だから、子ども一人一人の話は共有しにくいという問題はあったと思う。)、ちょっと問題のある子に関する会話が多かった。

 

去年はそれが当たり前かと思っていたけど、今は毎日教員室で、先生方が、クラスの子について、たくさん話している。問題の多い子でも、面白い話に昇華させている。子ども一人一人の良いところを共有したり、専科で入っている先生が、そのクラスの担任に、「今日〇〇くん、こういうことして面白かったんだよ〜!」とか(専科制のため、自分のクラスの子だけでなく、より多くの子どもを認識して、関わる機会がある。)

 

こちらが勝手に定めた基準で子どもをはかって、何か良いことはあったのだろうか…

 

去年は自分が納得できないことを指導する場面が多く、結果的にその指導は子どもたちに通っていなかったと思う。自分が納得できてないからね。

 

 

子どもに対して「きちんと」を求めていたこと、その基準から外れるものを認めない雰囲気があったこと、ここが自分の思想と合っていなかったのだなあ、と。

 

今の学校は、子どもの能力が高いからか、奇異行動と奇想天外な発想が多く、毎日驚かされるんだけど、のびのびした環境で、その能力を遺憾なく発揮できているなあ、と。自分にはできない芸当をやってのける子が多いから、尊敬もしてる。

そして先生同士も、認め合う、信頼し合っている感じがある。だからこその自由・裁量が担保されているなあ、と。

 

 

まあ雑感なのでこの辺で。

 

 

おまけ:社会人2年目の「諦め」

去年があるから今年があって、社会人1年目があったから2年目があって。

当たり前のようで、奇跡のような気も、運命のような気もしてくる。

 

前任校があるから、現任校の良さを噛み締めることができたのであって、今の状況を当たり前じゃなく、ありがたいことだと感じられて、だからこそ自分も頑張ろうと思えて。

 

 

あとは「諦め」

これは良い意味の「諦め」だと信じている。

 

私は私として生きていかなければいけないという諦め。

私からは逃げられないという諦め。

 

去年はまだ学生気分が抜けなかった。

私は何者かになれるんじゃないかってどこかで思っていた。希望を捨てきれなかった。

自分はこんなとこにいる人間じゃない、もっと能力を発揮できる場所がある、そう思ってた。

 

今は違う。

私は大した能力はない。一つ一つ、目の前にあることを、しっかりこなしていくしか、ない。

そうして、お給料をもらいながら、生きていくしかない。

そういう諦めと自覚。

 

でも諦めがついたからこそ、毎日が浮ついた、地に足ついていないようなものではなく、なんとなく自分のものになったような、そんな気がしてる。

だからこそ、いろんなことができるようになった気がする。

 

 

社会人2年目にして、「社会人」爆誕です。

社会人も悪くないね。