病と私(教員2年目の躁うつ日記)

双極性障害と一緒に暮らす大学生→教員()の日記とか思ったこと。

7月ももう3日…

 

今日は日記サボりたい。

一歩もお外に出てない。書くことない。

 

つい一昨日からゆるゆるダイエット始めたんですけど(移動でなるべく歩く、朝は豆乳と果物、湯船20分、中毒性のある高カロリーなものを控えるetc...)

 

食べたいもの我慢するって本当に大変。

その欲を抑えよう、我慢しようって思えば思うほど余計にその食べ物のこと考えちゃうし写真みてしまって あーーーーーー ってなるんだよね。なんなんでしょうね。

 

好きな人を忘れようとすればするほど忘れられなくてずっと考えてることになってしまうあの原理と同じでしょうか。

 

 

「愛するということ」エーリッヒ・フロムより

 

前々回の日記で 愛は能力ではなく対象の問題になってしまっている と紹介しましたが、その原因は1900年以降、ロマンティック・ラブの概念が西洋社会に浸透したことで、結婚に結びつく個人的体験としての愛を追い求めるようになったから。それ以前の結婚は仲介者がいて話し合いで決められるものだったらしいです。

 

“結婚した後ではじめて愛が生まれると考えられていた。” 愛する能力が必要ですよね。

 

それが 自由な愛 という概念によって能力より対象が重要 になってしまったらしいです。

 

 

 

今の私は決められる、くらいがいいです。

自由って響きは良いけど 選択できるということは責任が生じるので、享受するのも大変だなと思います。決められた方が責任転嫁できますからね。そもそも真の自由ってなんなんでしょうね。単純に選択可能なことなのかな。

 

もう頭パンクしそうなのでやめます。