尊敬できない実母との付き合い方ー接するたびに感じるズレ
プロローグ
今日のタイトルは、いままでのブログとは少し異なります。
正しい付き合い方を示してくれるのかな、と思った人もいるかもしれませんが、
これは私が今悩んでいることです。
そこまで深刻に、四六時中考えてるとかではないけど、
ふと、これからどう接していくのがいいのか、最近悩むのです。
自分の今感じていることを素直に書き表すつもりなので、
ふわふわとしたブログになるかもしれません(内容はふわふわじゃないけど)。
これから読み進めてもらうにあたって注意書きをつけさせてください。
※私はいわゆる一般的な、円満な家庭に育ったわけではありません(むしろかなり特徴的です)。
※ゆえに、「家族」や「両親」に対する考え方(思想)もかなり偏ったものになっている可能性があります。
しかし、どんな家庭に育った人でも「家族」というものを見直せる、まで言うと大げさですが、「家族」(ここでいう「家族」は概念です)に対するモヤっとしたものを少し解消できる機会になるかもしれません(もっとモヤっとさせるかもしれませんが。)
私のこれまでの家庭環境
まず、私のモヤモヤをただただ書き連ねる前に、私の家庭環境について、恥ずかしいのですが、少し記述したいと思います。
(本当に恥ずかしい、というかいわゆるコンプレックスです。)
両親が離婚するまで(7歳頃まで)
まず、私の実の両親は私が小学校に入るくらいの時に、離婚しました。
原因は父の不倫です。おそらく。他にもあったかもしれません。
離婚する前は、父と母は仲が良いときもあったし、喧嘩するときもありました。
年子の弟がいて、家族四人ですてきな一軒家も持って、
田舎でははたから見ると一般的な家庭だったと思います。
ディズニーにもよく連れて行ってもらっていたし、夏は海や水族館、父は社員旅行になると家族も一緒に連れていくタイプだったので、ハワイも何度か行きました。
ただ一般的な両親(周りで多かった)と私の両親は少し違いました。
それをわかりやすくまとめます。
①私の父も母も若くして親になりました(2人とも同い年で、高校の時から付き合っていて、母が23歳の時に私を産みました。)周りの友達の両親より、私の父と母は若かったです。
②父も母も無類のパチンコ好き(パチスロかパチンコか私はよくわかりません。)よく二人でパチンコ?スロ?の話をしていたのを覚えています。依存症に近いと思います。現在もふたりとも直っていません。
③父と母はよくケンカしていた
以上の特徴によって、私と弟の幼少期にどんなことが起こったのか。
・休日はよく祖父母の家に預けられた
いきなり蛇足ですが、どういう偶然か、父方母方のどちらの祖父母も同い年だったんです。つまり、父方のおばあちゃんと母方のおばあちゃん、父方のおじいちゃんと母方のおじいちゃん同士が同い年。
そして祖父母も若かった。私が生まれたとき、おばあちゃんは40代前半、おじいちゃんは40代後半だったんです(すごく若いでしょ)。40代でおばあちゃんて、、、
もっと蛇足ですが、おばあちゃんと病院に行ったり、買い物に行くと、よくお医者さんや店員さんに「おかあさん。」と言われて私は「お母さんじゃないよ!おばあちゃん!」と言ってたみたいです。
祖父母が若かったのと、初孫ということで可愛がってくれていたので、土日になると父方母方どちらの祖父母にもよく預けられていたんです。
父と母は預けてパチンコに行っていたんだと思います。
・いつ起こるかわからない両親の喧嘩への恐怖
両親は仲が良いときは良いのですが、喧嘩も多かったです。
しかも、すさまじいんです。
物は投げるし、手はあげるし、大声は出すし(お猿さん🐒かな?)…
これすごいのが、どっちもなんです。
一方的な家庭内暴力ではなく、
どっちも絶対負けないんですよね。
あつあつのカップラーメンぶっかけてたこともありました。
あと包丁だしてきたり(実際に刺したことはないですが)…
父も母も喧嘩すると怪我するまで戦います。
なんて暴力的。。。
一度、警察がきたこともあります。
どういう経緯だったか忘れましたが、祖母もかけつけて、冷静に話し合わせるように
対処していた気がします。
父も母も内出血がひどかった気がします。
もちろん小さかった私たち(弟と私)は、
ものすごく怖いし、父と母が傷つくのが悲しくて、隅っこで、「もうやめて!!」って必死に泣き叫んでました。めちゃくちゃ覚えてます。
それでもあまり、すぐ冷静になってくれることはなかったけど…
今でもちょっとした大きい声でもすごく苦手です。
こんな経験が何回かあります。もしかしたら何回も?
嫌な経験なので忘れてるとこも多いとは思います。
逆に1回1回が強烈だったから何回もあったような気がするのかも。
それでも両親は、一度も私達こどもには手をあげることはなかったし、冷たく接することもなかったです。ご飯も、必要なものも、ゲームも、与えてくれるし、家事一般はやってくれるし、部活や習い事も、特に問題なくやらせてくれました。
離婚の時は、親権やどちらが育てるかで争ったくらいなのですから。
父も母も自分の子どもだと、言っていたのを覚えています。
だからといって、兄弟ばらばらにするのはかわいそうだとも言っていました。
二人とも、ある程度の愛情は私達にはあったのかなと、思います。
(そうであってほしい)
うわ、ちょっと待って。
ここまで書いて思ったけど、
お母さんと縁切るとか距離これ以上置くとか難しい気がしてきちゃう。
縁切るまで行かないけど、距離置きたいと、思ってしまうこの頃なので。
これも長編になりそうなので、次回は両親が離婚してから私が大学に入って一人暮らしするまでの家庭環境をサクッとまとめます。
エピローグ
母との関係近況
「お金貸して」の連絡が多いです。(今日も)
すごいドライな感じではなく…コロナ大丈夫?とか外出てない?とか
お母さんと妹の近況報告とかもありますが…
正直なこと書くと、タイトル通り、母のことは尊敬できません。いまのところ。
(恋人が途切れないタイプでなぜかモテるところは尊敬するかも)
尊敬はできないけど、嫌いにはなれません。
むしろ普通に好きではある。
実父とこの前ご飯食べに行ったときに
「お母さんがお金貸してって言ってくる、お母さんが働ければいいのに。学生から借りるなんてありえない!」って母の愚痴を言ったら
「昔はいい女だったのにな。」なんて呑気に言ってました 笑
(まあ確かにあなたたち2人がくっついてくれなかったら私は生まれないけれど)
とはいえ以前は
「この世で生きたら悲しいことや辛いことが7~8割なのに、
どうして生まれたんだろう、よくも生んでくれたな(反出生主義的価値観)」
なんて思ってました。生きるってしんどいって。早く死ねたらなあって。
でも今は、悲しいことや辛いことが多いこの世を生き抜く方がずっとかっこいいと、そのなかで幸せを多く感じて生きられたら、それがこの忌み嫌う世の中への一番の反抗なんじゃないかと、思ってます。
突然、私の世界像の話になってしまいました。
今日母からまた「お金貸して」の電話が来たので、
途中まで仕上げていたこのブログを急遽仕上げたという具合です。
複雑な気持ち
ここからは複雑だけど正直な気持ちを書きます。
今日は、母に嘘をついてお金は貸しませんでした。
貸すことで母を甘やかしてしまうし、
母が一生私に頼ってくると思うと恐怖。
私は母に何かを返す義理はないと思う。
何かを返すほどの何かをしてもらったのか。
親に合格不合格があるならば、私の両親は確実に不合格です。(相対評価)周りの両親と比べると、足りないところが多い。
ただ、私は周りと比べることに意味は感じてないです。
(ただ、利便的に、不合格と表した方が伝わりやすいかと思ったので)
両親は両親なりに愛してくれているんだと思うことにしてます。
誰になんと言われようと、私は愛されて育ったと思います。
みんなより少し歪なだけ。
とは思っていながらも、母を助ける気にはならないし、
将来も全面的に助ける気はない。
母よりもっと養育者らしい養育者が私にはいるからかもしれない。
複雑なんですとにかく。
母の事、嫌いにはなれなくて、
母がしてくれたことも覚えているし、感謝してる反面で
一向に尊敬できなくて、
接触すればするほど不満が募る。
母の私に対する態度は愛情深いんです。(そう思いたい)
ただ、彼女の人生観や生き方、考え方、普通に苦手な人間なんです。
たまにこの人の血が自分に入ってると思うと悲しくなります。
どうしていいかわかんない!!!
私は良心があまり発達していないのか、縁を切るという切り札は常にもっていて、実はこの問題に関しては悩んでるようで悩んでないです。
縁切られたらお母さんは死んでしまうんじゃないかとも思いますが…
すごく不安症の傾向が高いので…(メンヘラ)
冷たすぎるかなあ
でもその中にいた私にしかわからないことっていっぱいありますから…
どうか、こんな人もいるんだなくらいに思ってくださいね。
いろいろ脱線しましたが、読んでくれてありがとうございました。
次回もお楽しみに。
今日のさくさく豆知識
うつ病の生涯罹患率は10~20%で、躁うつ病は0.8%らしいです。
(『躁うつ病はここまでわかった 第2版』加藤忠文著)
罹患率=患者数/人口(ある一定期間)
結構割合小さくて驚いてます。
双極性障害は小説家や詩人に多かったと言われています。(夏目漱石、宮沢賢治etc...)
なんかもうみんな躁の時ってあるんじゃない?って思い始めました。ただその状態によって問題が起こると、病気に分類されるんですよねおそらく。
今日のさくさくツイッター
寝たら躁転せずに済みました。ただ、細かい感情や体調の変化を感じてます。
さっさと病院行きますね。