病と私(教員2年目の躁うつ日記)

双極性障害と一緒に暮らす大学生→教員()の日記とか思ったこと。

読み終わった本の「感想」(が書けない)

 

たまに読み終わった本の「感想」を

ここにつらつら書きたくなる時がある。

書きたくなる、だけ。

絶対に書けない。

大概、最初の1字すら浮かんでこない。

自己処理が1番いい。

他人の感想を見ても、

共感し切れることがない。

むしろ、もやもやする。

違う。って思う。

そう感じる人がいることに、

驚くし、戸惑ってしまう。

だれ1人として同じく感じることはないと

頭でわかっているのに、

実際に肌でそれを感じてしまうと、

途端に言いようもない不安に襲われる。

 

絶対にそう読まないで欲しい、

そう感じるだけで終わって欲しくない、

という感想をしっかり書いてくれる人もいる。

おそらく私はこの人とは

うまが合わないだろう、と勝手に想像する。

私は何様なんだろう。

でもその感想は

「遠くの知らない誰かのもの」である。

うまが合わなかろうが関係ない。

 

本当にそうなのかな。

 

実は身近にいるかもしれない、とも思う。

今私の隣にいる人が、

同じ本を読んだらどう感じるんだろう。

 

私はいつもこれまた勝手に、

自分の近くにいてくれる人たちは、

自分と似たような考えや感じ方をすると

思ってしまう。

 

実は身近にいる人に対する想像力が

1番欠けやすい気がする。

同じような環境にいる、

同じようなバックグラウンドがある、

近くにいるだけで、

共有した時間が長いだけで、

わかった気になる。

わかってもらった気にもなる。

 

ある程度の異質なものに対する想像力は、

みんな頑張って働かせるのよ。

完全に異質だと、理解することを

諦める可能性もあるけど。

 

そもそも完全なる理解なんてあり得ない、

いつもいつも頭ではわかっているはず。

だけど、ふと忘れている。

忘れたくらいに、気付かされる。

一生すべてを理解することは不可能で

一生すべてを理解されることも不可能。

その事実に気づいた時、一瞬だけ絶望する。

だけど同時に希望も持てる。

よかった、すべてを解ることがなくて。

よかった、すべてを解られることがなくて。

 

よかったよかった。

誰とも真にわかりあうことはできない。

その点ではみな平等。

すべての人との繋がりと

一生分の孤独を同時に感じる。

 

 

 

 

最近読み終わった本に対する感想です。