病と私(教員2年目の躁うつ日記)

双極性障害と一緒に暮らす大学生→教員()の日記とか思ったこと。

寂しさでどこまでも他人を傷つけられる

 

今回も叙情的な文章です。

最近得た気づきは少し残します。

 

 

全てをありのまま(ありのままなんて無理だけど)文として残すには

あまりに生々しくて、

それでいてロマンチックだなあ、と思うことがあるので、

一部だけ文として残しますね。

 

 

 

決めつけて、柔軟性を失うのが嫌で

自分の気持ちに名前をつけないようにしてるんだけど、

そのせいでいろんなことが曖昧にはなる。

 

 

相手を好きかどうか、大切かどうかよりも、

自分が一緒に居たいかどうか、で大体のことを決める。

でもその「一緒に居たい」の原因は、

「相手がその人であるから」とは限らない。

「寂しさ」の場合もある。

 

 

片方の「一緒に居たい」の原因が「相手がその人であるから」で

もう片方の「一緒に居たい」の原因が「寂しさ」の時

殊に恋愛関係においては、ひたすらに傷つけ合うことになる。

 

 

傷つけたいわけじゃないのに、

相手に尊厳を認めてないが故に、無意識に傷つけてしまう。

傷ついてる相手をみて、自分もちょっと傷つく。

 

仮にも一緒にいる人なのだ。

嫌いなわけではない、居心地も悪くない、

むしろ好意的に感じている。

 

そういう人を傷つける趣味はない。

ちなみに他人を傷つけてはいけないっていう

偽善は持ち合わせてないです。

傷つける価値のある、傷つけたいと思ったら全然

 

 

離れた方がいいって頭でわかってるのに、

寂しさゆえに、喪失感を味わう怖さゆえに、

離れられずにいる。

 

傷つける度にそう相手に伝えても、

「まだ大丈夫」「私は傷ついてもいい」「あなたが傷つく必要はない」

って返ってくる。

 

 

幸せになってほしいと心から思う。

無邪気な笑顔は大好きだから。

でも最近はずっと泣き顔ばかり見てる気がする。

幸せにできる自信が全くない。

 

 

現に傷つけすぎている。

それでも許してくれるから、それでも離れようとしないから、

それに甘えて、自分の寂しさを甘やかして、今日も一緒にいる。

 

 

心がまだ裸で、無防備で、きれいで、全てに行儀よく傷つく。

そのうち武装していくんだよ、みんな。

それが怖いって言う。

自分が変わってしまうのが怖いって。

 

 

私も変わってほしくないと思う。

そしたらもう一緒にはいられない。

それで離れられるなら、いい気もする。

でも一緒にいるうちは変わらない気もする。

 

 

価値観のずれが、「一緒に居たい」の原因のずれが、

小さな嘘が、響いてくる。もう限界だと思う。

でもいつもの悪い癖で面倒事は先延ばし。

 

 

 

 

 

 

 

 

たまには笑って1日過ごそう。

いつもありがとう。