病と私(教員2年目の躁うつ日記)

双極性障害と一緒に暮らす大学生→教員()の日記とか思ったこと。

いつの日記かわからない

 

実は昨日サボってるんだな。今まで日付変わってから書いてたから、今日の12時前に投稿しちゃえば毎日投稿してる風になる。

 

昨日、第2の実家に帰っていとこの幼稚園の催し物行ったりかくれんぼしたりお風呂入ったり一緒に寝たりしてたのであまりスマホいじらなかったんですね。最高だった…

 

叔母と会うたびいろんな話をするんです。お店来てって言うホストの話、この前歌舞伎で潰れた話、将来幼稚園の先生になりたいかもっていう話、パパの話、関係持ってる男の話、ぜーんぶぜんぶします。

 

ホストには行くなってこと。叔母は幼稚園の先生を肯定してくれているけど叔父はそうではないこと。単位はとれ、ということ。私の良いところ。悪いところ。

 

私の1番の望みなんてこの人達を安心させて少しずつ恩を返して行くことなんだよな…

それでいて丸くはなりたくないというか…

まあ叔母に言えないようなことはしない。

 

「愛するということ」エーリッヒ・フロム より

 

“愛について学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいない。”

 

この考え方の底にある前提2つ。

➀愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている

➁愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、と思い込んでいる

 

こうなってしまったのも社会の発展とも関連があるそうです。それはまた明日にでも。

 

ちなみに私は➀の感覚は薄れてきているけど、➁が強くて対象大事だと思ってる。まあフロム先生がこの後著書内でいろいろ書いてくれてるのですが。

 

ちなみにエーリッヒ・フロムで1番有名なのは『自由からの逃走』だと思います。これ言えばみんな ああ!ってなるかな。